刑事弁護人がドラマ「エルピス」を観てみた

刑事弁護

前置き

弊所内でも話題になっていた「エルピス —希望、あるいは災い—」を年始に一気見しましたので、刑事弁護人として、冤罪研究の視点から解説や感想を書こうと思いました。

エルピス —希望、あるいは災い— | 関西テレビ放送 カンテレ
長澤まさみ主演『エルピス—希望、あるいは災い—』公式サイト。落ち目となったアナウンサーと仲間たちが、10代の女性が連続して殺害された事件の冤罪疑惑を追う中で、一度は失った“自分の価値”を取り戻していく姿を描く社会派エンターテインメント

法律家が漫画やドラマの解説や感想を書いてどうするんだ、と感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、例えば海外の冤罪に関する学術的書籍では、しばしばNetflixの”Making a Murderer”(全米で大反響を起こした冤罪ドキュメンタリー)がよく言及されたりします。

Watch Making a Murderer | Netflix Official Site
Filmed over 13 years, this real-life thriller follows the unprecedented story of two men accused of a grisly crime they ...

思うに、冤罪を防ぎたいという想いは法律家もそれ以外の人も同じであり、その共通目標を実現するために法律家ができる協力や発信があるのではないかというところから、本稿を書こうと思い至りました。

一人でも「エルピス」や冤罪に関心をもっていただければ私としても嬉しいです。

あらすじ

大洋テレビのアナウンサー・浅川恵那(長澤まさみ)は、かつてゴールデンタイムのニュース番組でサブキャスターを務め、人気、実力ともに兼ね備えた女子アナだったが、週刊誌に路上キスを撮られて番組を降板。現在は、社内で“制作者の墓場”とやゆされる深夜の情報番組『フライデーボンボン』でコーナーMCを担当している。そんなある日、番組で芸能ニュースを担当する新米ディレクターの岸本拓朗(眞栄田郷敦)に呼び止められた恵那は、ある連続殺人事件の犯人とされる死刑囚が、実は冤罪かもしれないと相談される。

両親が弁護士という裕福な家庭で育った拓朗は、持ち前のルックスも手伝って、仕事の実力とは裏腹に自己評価が高く、空気が読めない男。とある理由で報道、ましてや冤罪事件とはもう関わりたくないと思っている恵那の気持ちなどお構いなしに、事件の真相を追うために力を貸してほしいと頭を下げる。しかし、拓朗がそこまで躍起になるのには、ある事情があって…。

拓朗によれば、冤罪疑惑はある有力筋から得た情報だという。だが、かつて自分が報道したこともある事件だけに、にわかには信じられない恵那。そのうえ事件が起きたのは10年近くも前で、犯人とされた男の死刑もすでに確定している。恵那は、すでに風化した事件を掘り起こすことは得策ではないと一蹴するが、それでも拓朗は懲りずに、新入社員時代の指導担当で報道局のエース記者・斎藤正一(鈴木亮平)を頼る。そして、事件当時の話を一緒に聞きに行こうと無邪気に恵那を誘うが…。

公式HP「第1話あらすじ」より引用

解説

※本投稿では、「エルピス」1~2話のあらすじに触れることはありますが、基本的にはネタバレをせず、これから「エルピス」を見られる人にも安心して読んでいただける内容になっております。また、法律家の方にもそれ以外の方にも読んでいただけるような内容になっております。

冤罪を伝えるということ

冤罪を法律家以外の人に伝えることはとても難しいです。

エルピスの脚本を書かれた渡辺あやさんもこのように話しています。

問題の伝え方や口調にはいろいろあると思いますが、「悲劇」とか「同情を買う」とかはどうも効率が悪い。もともと強い問題意識を持った人にしか届かない。

「エルピス」脚本家・渡辺あやさん 6年越しの脚本に込めた危機感と覚悟、東京では書けないことより引用)

冤罪被害のことを話していても、どうしても「自分とは関係ないもの」として見られてしまいがちです。

この点について、私は刑事弁護教官である神山啓史さんの語り方が素晴らしいと感じており、それを一部使わせていただいた表現がこちらになります。

しかし、言語表現には限界もあります。この点を超える可能性として考えられるのが映像表現です。エルピスは、本当に上手いと感じました。

「真犯人は野放しになっている」——、拓朗(眞栄田郷敦)の言葉がまるで何かの合図だったかのように、行方不明になっていた中学2年生の女子生徒が遺体で発見される。首には、かつて世間を騒がせた連続殺人事件の被害者と同じく絞められた痕があり、遺体発見現場も同じ神奈川県八頭尾山の山中。これは偶然か、それとも——。

公式HP「第2話あらすじ」より引用

まさに真犯人が自分たちの近くにいるかもしれない、そう感じた瞬間、みんな背筋が凍るわけですね。

ぜひ冤罪の恐ろしさを誰かに伝える際に参考にしてほしいドラマです。

題材となった事件

エンディングに参考文献が掲載されていますが、実際の冤罪事件である足利事件が題材とされています。

足利事件(あしかがじけん)とは、1990年(平成2年)5月12日、栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児が行方不明になり、翌13日朝、近くの渡良瀬川の河川敷で、女児の遺体が発見された、殺人・死体遺棄事件。

事件翌年の1991年(平成3年)、事件と無関係だった菅家 利和(すがや としかず)が、被疑者として逮捕・被告人として起訴された。

菅家利和は、刑事裁判で有罪(無期懲役刑)が確定し、服役していたが、遺留物のDNA型が、2009年(平成21年)5月の再鑑定の結果、彼のものと一致しないことが判明し、彼は無実の冤罪被害者だったことが明らかとなった。

服役中だった菅家利和はただちに釈放され、その後の再審で無罪が確定した。菅家利和の無罪が確定するまでの間、長らく日本弁護士連合会が再審を支援していた。また、この事件は真犯人が検挙されず、公訴時効が完成した未解決事件でもある。当事件を含めて、足利市内を流れる渡良瀬川周辺で遺体が発見された3事件は足利連続幼女誘拐殺人事件とされている。

当事件捜査に関する後年の調査報道などマスコミメディアがその事件捜査のあり方に注目し、調査報道の中で事件捜査初期に事件現場での真犯人目撃の情報を警察が把握していた事実や経緯も判明している。

足利事件のWikipediaより引用)

当然、あくまで題材なのでドラマとして様々な脚色があり、足利事件とは冤罪の構造が異なっています。

この足利事件は、警察官検察官日弁連の3機関が冤罪原因を調査しており、冤罪検証の歴史的にも意義があるものだと思っております。

冤罪事件の教訓その1ー印象による犯人の認定ー

エルピスはあくまでフィクションですが、それでも冤罪事件で見られる兆候はいくつか指摘できます。

1つ目は、印象の持つ危険です。法律用語では「悪性格」といった言葉がしばしば使われ、それによって予断・偏見に基づいた裁判をしないよう心掛けられています。

エルピスでも足利事件と同様に真犯人の目撃証言が存在したにもかかわらず、それと矛盾する松本良夫が逮捕され、有罪判決を受けてしまいます。いくつかの状況証拠はあったものの、社会的に松本良夫が犯人視された最大の根拠は中学生の女の子を家に住まわせていたという事実でした。

しかし、仮に小児性愛傾向などがあったとしても、性犯罪の前科があったとしても、中学生の女の子を家に住まわせていたとしても、その人が今回の性犯罪事件の犯人だということには直ちにつながりません。裁判実務上、「傾向」や「性格」に基づく事実認定は批判が強く、例えば前科といった悪性格証拠は、原則として証拠採用できません。

「被告人は,本件放火に近接した時点に,その現場で窃盗に及び,十分な金品を得るに至らなかったという点において,前刑放火の際と類似した状況にあり,また,放火の態様にも類似性はあるが,本件前科証拠を本件放火の犯人が被告人であることの立証に用いることは,帰するところ,前刑放火の事実から被告人に対して放火を行う犯罪性向があるという人格的評価を加え,これをもとに被告人が本件放火に及んだという合理性に乏しい推論をすることに等しく,このような立証は許されないものというほかはない。」

最判平成24年9月7日刑集66巻9号907頁

しかし、少なくとも犯人の捜査実務においては、捜査の端緒として前科・前歴等が利用されている実情があります。

冤罪事件の教訓その2ー事件報道による予断形成ー

2つ目は、そのような印象を形成するものとして、マスメディアによる事件報道が挙げられます。

日本では、逮捕・起訴されたことが報道されると、あたかも犯人のように扱われてしまうという問題があります。これは、被疑者被告人の無罪推定原則に抵触するものです。

自由権規約14条2項には「刑事上の罪に問われているすべての者は、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する」と規定されており、国際人権規約自由権規約委員会はその解釈を示す一般的意見として「報道機関は、無罪の推定を損なう報道は避けるべきである。」としています。

実際に、2007年に開催された「マスコミ倫理懇談会全国協議会」全国大会において、最高裁判所参事官は、問題のある報道として、①被疑者が自白していることやその内容、②被疑者の弁解の不合理性を指摘すること、③犯人かどうかに関わる状況証拠、④前科や前歴の報道、⑤被疑者の生い立ち、⑥事件に関する有識者のコメントといった事項を挙げています。

報道が予断を与えるかという実験も行われています(五十嵐二葉「犯罪報道が読者・視聴者に与える被疑者=犯人視効果―大学生対象のプリテスト結果―」法社会学1994巻46号(1994年)222頁以下、なお海外においても同種の実験結果が複数存在します)。

この実験では、学生にテキストを読ませ、実際の冤罪事件において報道された被疑者を犯人視する詳細な新聞記事を読んだグループと、冤罪を訴える被疑者の陳述書を読んだグループ、その両方を読んだグループなどに分け、被疑者を犯人だと思うか否か又は分からないかなどを質問するという実験でした。両方を読んだグループにおいては、約半数が「どちらともいえない・分からない」を選び、残りの半数が「犯人だと思う」と「犯人だとは思わない」のそれぞれほぼ同数で拮抗しました。これに対し、犯人視する記事を読んだグループにおいては約60%が「犯人だと思う」を選択し、被疑者の陳述書を読んだグループにおいては約46%が「犯人だとは思わない」を選択することが分かりました。

エルピスを制作した関テレでは、冤罪事件におけるメディアの責任として、無罪判決確定後に冤罪原因や雪冤過程を分析し、冤罪被害者の名誉回復を図ると共に自身の報道姿勢を検証するという報道もしています。

冤罪事件を担当した弁護士としての共感

エルピスでは、恵那が事件を検証します。

当時犯人として逮捕・起訴された、松本良夫死刑囚(片岡正二郎)の冤罪を訴えていた拓朗の言葉に、わずかな可能性を見た恵那(長澤まさみ)は、番組で過去の事件を調査報道したいと考える。しかし、プロデューサーの村井(岡部たかし)に取り合ってもらえるはずもなく、恵那はひとまず、一人で事件を洗い直すことに。そして、当時14歳で、逮捕当日に松本の家で保護されたヘアメイクのチェリーこと大山さくら(三浦透子)が書きためた裁判記録をもとに、松本が殺人を犯したとされる日の足取りを確認すると、検察側のある主張に違和感を覚える。

公式HP「第2話あらすじ」より引用

冤罪事件は、どれも犯人と疑われるだけの何らかの証拠があります。そのような状況で

「まずは自分の目で見て考えよう」

その思いが冤罪事件を救済するための第一歩だと思います。刑事弁護教官であった神山啓史さんも、「現場は必ず見に行け」「汗をかけ」と何度も修習生に指導していました。ドラマだと普通のことのように描かれていますが、非常に重要なことだと思います。

その結果、恵那は検察官の主張する時系列にある違和感を覚えます。私が担当した冤罪事件の弁護活動においても、まずは感覚的に「この人が犯人なのはおかしい」と違和感を覚えることがありました。検察官主張において理屈の上では一応説明されていたとしても、やはり現実としてはおかしく感じるのです。私がエルピスと同じ検証をしていたら、おそらくその後に検証した拓郎が抱いた違和感と同じものを感じていた気がして、とても共感しました。

感想

ついでに一個人として考察・感想も書かせてください。

本作は何といっても「トガって」ます!

まずは脚本です。報道の姿勢を内側から批判しようとする脚本がチャレンジングなのは当然ですが、私はそれよりも登場人物の二面性・複雑性をきっちり描いていることが好きでした。テレビ報道では分かりやすさが重要で、それゆえに内容が簡略化、ステレオタイプ化しがちです。私がテレビ離れした一番の原因もそれでした。この点について、脚本を書かれた渡辺あやさんはこのような話をしています。

「テレビの仕事をしていると、とにかくわかりやすさを求められることが多い。さっさと答えを提示して視聴者に考えさせるなと。でも受け取り手のリテラシーはそこまで低くはないと信じたいんですよね。答えのない問いを自分で解きほぐすことこそ面白いし、心の底の探求や成長につながるのだと思います。さらに誰かと話したくなって対話が生まれたり。」

「すべての物事を一義化して善だとか悪だとか言い切ってしまう、そのような物語を大勢の人に見せるって結構怖いことだと思うんですが、とはいえ人間の多面性をそのまま見せようとすると、怒られがちなんです。あの登場人物はいい人なのか、悪い人なのか、このシーンではいいことを言ってたのに、ここではこんな態度を取るじゃないかみたいな。私が思ったままの人間の重層性や多面性を投影したときに、統一感がないという指摘を受けるということが多々あるんですよね。」

「正しい人なら正しいことだけやっていてほしい。それはわかりやすさを求めることにもつながっていると思います。ただ、あまりにも整理整頓してしまうと、自分が表現したいことは描ききれないと思っているんです。」

テレビはもう本当にダメなのか?渡辺あやと上出遼平は、視聴者の「答えが知りたい」欲求に抗う」より引用

「正しいことを伝えたい」というのが本作のテーマなのですが、製作者側もまさにそのテーマと戦っていたのだと思います。

この脚本に応える映像や演技も非常に挑戦的で、普段できないことをこのドラマでたくさんやろうとする気概が感じられました。

私は写真を本格的に撮っていた経験があるのですが、エルピスの撮影や光の使い方はこれまで見たドラマで一番すごかったです。長澤まさみさんが吐いた後に屋上で水を飲んでいるシーン、「これ水のCMでは?」となるくらい綺麗でした。いくつかあった夕日をバックにしたシーンなんかもなかなか撮れるものではなく、総じて「これ映画では?」と感じていました。調べてみたらこちらのインタビューで答えているとおり、ガチのシネマカメラで撮影していたようです。尖りすぎてる…!

演技はもう大絶賛ですね。長澤まさみさん、鈴木亮平さん、眞栄田郷敦さんといったメインキャラクター陣はもちろんですが、岡部たかしさん、三浦透子さん、永山瑛太さんの演技も非常に印象的でした。脚本と同じくステレオタイプな演技ではなく、色んな解釈の余地を残す複雑な演技だと感じることが多かったです。

自分たちがやりたいこと、正しいと思うことを全部詰め込んで「吐き出す」作品だと思いました。

マスメディアに対しては昨今批判も強いところですが、世の中には色々な事情がありながらも、その中でもマスメディア内外で頑張って戦っている人たちがいるんだということが、作品全体を通して伝わってきます。それこそが「エルピス」だと解釈しております。冤罪の研究と救済に携わっている者として、Twitterで裁判所に関する発信を始めた者として、全く他人事ではありません。私もその希望を繋げられるように頑張ります。

投稿者プロフィール

西愛礼
西愛礼
2016年千葉地方裁判所判事補任官、裁判員裁判の左陪席を担当。2021年依願退官後、しんゆう法律事務所において弁護士として稼働。冤罪の研究及び救済活動に従事。イノセンスプロジェクトジャパン運営委員。日本刑法学会、法と心理学会所属。