自白と取調べの歴史(江戸時代)

刑事弁護

江戸時代において有罪判決は原則として自白がなければ下せないことになっていました。

高野 隆. 人質司法 (角川新書、2021年)Kindle版No.1794

私はこのことを今まで知らず、この一文を読んだときに衝撃を受けました。

「自白は証拠の王」という格言自体は知っておりましたが、自白がなければ有罪判決が下せないとはどういうことか、このような事実は本当に存在するのか、不思議に思いました。

そこで、文献で調べてみることにしました。

参考文献:平松義郎「近世刑事訴訟法の研究」(創文社、1960年)、佐々波与佐次郎「日本刑事法制史」(有斐閣、1967年)、大平祐一「近世日本の訴訟と法」(創文社、2013年)、氏家幹人「江戸時代の罪と罰」(草思社文庫、2021年)、小野武雄「江戸の刑罰風俗誌 増補牢獄秘録 拷問実記 吟味の口伝」(展望社、1998年)

私が調べた限り、自白がなければ有罪判決を下せないという何らかの法律はありませんでした。

しかし、確かに、江戸時代において慣例により、有罪判決を下すためには自白調書である「吟味詰り之口書」によらなければならないものとされていたようです。

自白があれば有罪判決を下すために他の証拠が不要であり、有罪判決を下すために自白調書が必要とされたため、江戸時代においては自白調書をとることが「吟味」(取調べ)における最重要目標とされていたそうです。

そして、自白を得るためにしばしば拷問が用いられたと言われています。

現代から見た拷問としては、笞打(むち打ち)・石抱(膝の上に石を乗せる)・海老責(緊縛)・釣責(宙づり)などが用いられたようです。

読み聞かせられた「吟味詰り之口書」に対して異議を唱えることもできたようですが、犯罪事実の成否に影響を及ぼしたり他の証言と相反する事実を申し立てたりしたときは採用されず、再び拷問が加えられたそうです。

慣習といえども、なぜ江戸時代においてはこれほどまでに自白が要求されたのでしょうか。

一説によれば、江戸幕府は、幕府の裁判ひいては公権力の御威光を人民に承認せしめ、これを信頼させ、裁判により定まる幕府の命令を遵守させようとしたために、承認のプロセスとしての自白が必要だったのではないかということが言われています。

異論も存在しますが、奉行が白洲(法廷)で無罪を宣告することは幕府にとって体裁が悪かったのではないかとも言われており、そのために奉行所に送致する前の「下吟味」が予審的な機能を果たしたと考えられているようです。

また、江戸時代は科学的捜査が未熟で、物的証拠よりも人的証拠に頼らざるをえず、自白に最大の信頼が置かれていたため、本人から真実が語られないままに公正な裁判をすることができないと考えられたのではないかとも言われています。

その他、犯罪捜査において自白は共犯の発見や主犯の確定、余罪の追及等のために最も迅速容易な手段であったことも、自白が重視された理由と考えられているようです。

自白調書さえあれば足りたため、虚偽自白もままみられたとのことです。

例えば、奉行は関所破りや密通の犯罪を出す事を恥辱として避けようとしていたため、役人が「吟味詰り之口書」の内容を曲筆することは奨励されていたとのことです。

また、重大犯罪について被糾問者と役人が馴れ合いで刑の減軽を図って「吟味詰り之口書」に虚偽の事実を記載したりしていたといわれています。

江戸時代においては無罪判決も複数宣告されていたようですが、拷問によって無実の者が虚偽自白をして処罰された例もあったことを窺わせる文献も残っていました。

江戸時代においては刑罰決定手続に関する判例法の蓄積が目覚ましかった半面、自白偏重の結果として、事実認定に関する判例の蓄積が乏しかったとも言われております。

このような法定証拠主義は長らく続いており、1873年(明治6年)制定の改定律令318条においても、有罪判決を下すためには自白が必要とされ、自白がない場合には拷問を余儀なくされました。

結局、1876年(明治9年)太政官布告第86号で「凡ソ罪ヲ断スルハ証ニ依ル」と証拠裁判主義が定められ、自白に関する法定証拠主義は終わりました。

そして、1945年(昭和20年)に日本国憲法が公布され、翌年施行されたところ、第38条3項で「何人も自己に不利益な唯一の証拠が、本人の自白である場合には、有罪とされ又は刑罰を科せられない」と自白の補強法則が規定されました。

この自白の補強法則は、封建時代から明治時代の改定律令に至るまで、断罪には自白が唯一の罪証であったことに比べると、有罪判決の証拠としての自白の効果が全く正反対になったものであり、日本の刑事手続史に残る業績とされています。

今現在当然に存在する証拠裁判主義や自白の補強法則などは、意外にも歴史が浅いものだったのですね。現代に生きる我々においても、このような自白と取調べの歴史的沿革は示唆に富むものなのではないでしょうか。

投稿者プロフィール

西愛礼
西愛礼
2016年千葉地方裁判所判事補任官、裁判員裁判の左陪席を担当。2021年依願退官後、しんゆう法律事務所において弁護士として稼働。冤罪の研究及び救済活動に従事。イノセンスプロジェクトジャパン運営委員。日本刑法学会、法と心理学会所属。