接見禁止抑制論と段階的身体解放

刑事弁護

前置き

前回のコピペですが前置きです。

私は、被疑者被告人に有利な判断をする傾向があったわけではありません。あくまで中立・公平な裁判を心がけていました。

もっとも、一人の法律家として、様々な法的見解を持ちます。それは、被疑者被告人にとって有利なものもありますし、不利なものもあります。その大半は判例・実務に沿うもので、批判されている実務運用を追認する見解もあります。しかし、現状の実務でいいのだろうかと、判例・実務におそらく沿わないであろうことを考えることもありました。

弁護士として裁判官経験を生かすという観点から、被疑者被告人にとって有利な法的見解をいくつかブログに書いてみたいと思います。あくまで試論であり、今後の議論や弁護士経験も踏まえて私見を構築していきたいと思っております。そのため、批判を含めてご意見いただけますと幸いです。

第1弾は「初犯の薬物犯罪における勾留の要否」でした。第2弾は「接見禁止抑制論と段階的身体解放」です。

接見禁止に関する状況

日弁連の統計によれば、2019年には3万4854件もの接見禁止決定が下されており、これは勾留請求許可人員数のうち38.6%にも及びます。

また、検察官が接見等禁止請求をした場合の認容率は、少なくとも1985年から2011年までの間にかけて、9割を下回ったことがなく、現在もほぼ同様の傾向が続いているものと推測されます(こちらの統計を参照)。

国際人権法の観点からすると、1948年に採択された世界人権宣言には次のような条項があります。

第十二条 何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。

1988年に日本を含んだ全会一致で採択された国連被拘禁者人権原則においても次のような条項があります。

原則15 (略)拘禁された者又は受刑者と外部、特に家族や弁護人との間のコミュニケーションは、数日間以上拒否されてはならない。
原則19 拘禁された者又は受刑者は、外部の者特にその家族と面会、通信する権利を有し、外部社会とコミュニケートする十分な機会を与えられる。但し、法又は法に従った規則により定められた合理的な条件及び制限に従う。

なお、接見禁止が付されていない場合の一般面会においては刑事収容施設職員が立ち会い、罪証隠滅等の通謀を行おうとしている場合には制止されます(刑事収用施設法116条参照)。

(弁護人等以外の者との面会の立会い等)
第百十六条 刑事施設の長は、その指名する職員に、未決拘禁者の弁護人等以外の者との面会に立ち会わせ、又はその面会の状況を録音させ、若しくは録画させるものとする。ただし、刑事施設の規律及び秩序を害する結果並びに罪証の隠滅の結果を生ずるおそれがないと認める場合には、その立会い並びに録音及び録画(次項において「立会い等」という。)をさせないことができる。

試論

いや、そもそも接見禁止って正直結構きつくないですか。

私の根本的なひっかかりは、受刑中の人でも家族と会えるのに、被疑者被告人に接見禁止が付されると家族にも会えないため、推定無罪中の身体拘束が刑罰以上に重い措置になってしまうということです。

このような制度は非常に慎重に運用しなければなりません。そうであるにもかかわらず、勾留人員中4割弱の人が接見禁止を付されていて、しかも請求されるとほぼ通ってしまうというのはいかがなものでしょうか(なお、あくまで私の当時の感覚ですが、千葉では4割弱も接見禁止になっているという感覚はありませんでした)。

一般面会も刑事施設職員が立ち会うのですから、基本的に罪証隠滅は困難であって、問題の中心は暗号・符牒を用いた分かりにくい通謀となります。しかし、そのような通謀がそんなに一般的に行われ得るものなのでしょうか。

例えば、覚せい剤密輸はほぼ全件において接見禁止がついていると思われますが、それは密輸組織が関与している事件であるため、組織側関係者が働きかけにくるという理由によるものです。しかし、密輸組織はそもそも運び屋が逮捕されたとしても自分たちまで捜査の手が及ばないように考えて依頼をしているはずです。1回限り雇われた運び屋に会いに来る方がリスキーではないでしょうか。

議論や検討

裁判官室内でもしばしばこの接見禁止問題を議論しました。

裁判所においては昔はほぼ接見禁止が請求されてそれが認められていたが、近時は身体拘束判断全般が見直された結果、接見禁止がつく事案類型が明らかに変わったと言う裁判官もいました。やはり裁判官にもある程度の問題意識を持っている方がおります。

一方、暗号・符牒を用いた通謀が行われるかについては、「それが、実際にあるんだよ」と体験談を教えてくれる先輩が多かったです。運び屋の被疑者について接見禁止を却下していた裁判官もいましたが、準抗告で覆されていました。

また、刑事収容施設法では裁判官は刑事収容施設を見学できるという条文があります。

(裁判官及び検察官の巡視)
第十一条 裁判官及び検察官は、刑事施設を巡視することができる。
この条文に基づいて拘置所に見学に行ったとき、一般面会で通謀は止められないものなんですか?と質問してみたこともあります。その際、「刑事施設職員は自分にわからない話があれば制止する。しかしそもそも事案の全容を把握できないため制止には限界がある」旨言われました。
先輩裁判官や刑事施設職員の話を聞いて、「なるほど、弁護人が接見の際に何かを捨ててほしいなどの怪しい依頼を受けて悩んだという事案もあると聞いたことがあるし、自分が思っている以上に暗号・符牒を用いた通謀はあるのかもしれない」「確かに、もし自分が事案の内容を知らずに立ち会っても制止には限界があるよな」などと思いました。
また、裁判官と話している中で、「もし面会したい人がいたら柔軟に一部解除したら良い。」と言われることもありました。この意見に対しては、接見禁止が付かないのが原則なのではないかという違和感もありましたが、一部解除を柔軟に運用するという発想や後の手続も見据えるという発想は大事だとも思いました。
もっとも、一部解除を前提とした運用は、一部解除という手法が認知されていなければなりません。一部解除は弁護士さんの認知状況が芳しくなく、たまに弁護士さんからそんなのがあるのですねと驚かれます。裁判官は接見禁止の一部解除をよく使い、当時の千葉地裁では接見禁止一部解除が「セツイチカイ」と呼ばれていました(全国的にこんな呼び方は少数のようです)。典型は親族のみの解除といった面会者を特定する一部解除だと思いますが、それにとどまらず、1回限りの面会や1通限りの手紙の授受の一部解除、条件付きの一部解除といった方法があります。
結局、色々考えた結果、自分の中では、暗号・符牒を用いた具体的な通謀がイメージできるものについてのみ接見禁止もやむを得ないものとして認める、必要性審査をシビアに見る、一部解除を柔軟に用いる、特に家族との面会については国連被拘禁者人権原則に留意して判断する、というところに落ち着きました。

その後

まず、特に法定刑が低い事案では接見禁止を付するとやはり不均衡だと思い、必要性なしとの理由で却下し続けました。風営法違反などの事案を覚えており、事案によってはそもそも勾留却下しました。そのほかにも安易だと思われる接見禁止請求については却下していました。これらは準抗告でも私の判断が維持され続けました。
一部解除については色んなことをしました。手紙の授受については、接見禁止が外せない事案でも1通限りの一部解除を促し、問題なければ一部解除を認めていました。面会については、話題事項(「家族の近況」など)を箇条書きにして特定し、イレギュラーなので立ち会う職員にも配慮して面会時間を指定した一部解除を数回しました。弁護士さんがどうしてもご家族との面会を実現させたいと頑張っていたけれども基本的には一部解除も難しそうだなあと思った事案では、弁護士さんにお願いして、弁護士さんが面会に立ち会うという条件で一部解除したこともあります。これらに関しては準抗告もされませんでした。なお、退官後に考えたのですが、刑事収用施設法116条に沿って録音録画を条件とするというのもありかなと思います。
これらの経験から、長期的にこの考えがあっているのかはわからないけれども、まずは一部解除を柔軟に運用するのが上手くいきそうだなという感覚を持ちました。
それを踏まえて、私は、現在の身体拘束に関する実務に対して、接見禁止か全部解除かといった0か100かではなく、一部解除などをもっと活用し、手続全体を通して段々と制限を緩めていく「段階的身体解放」も考えられるのではないかと思っています。
確かに不便ですが一部解除でもされるかされないかによって、身体拘束の弊害は大きく変わると思いますので、まずは一部解除をする。一部解除に基づくやりとりを重ねることはその人にとって罪証隠滅をしないという実績にもなる。並行して訴訟が進行することによって罪証隠滅の余地が縮小していく。それらをもって、どこかの段階で全部解除をする、といったものです。
次号(113号)の季刊刑事弁護における連載「冤罪の構図」にも書いたのですが、この段階的身体解放の考え方は、接見禁止だけでなく比較的多数の条件を付する保釈といった他の身体拘束実務においても活用できるものと考えております。
弁護士さんは、そもそも接見禁止が4割弱ついていることがあるべき状態ではない、段階的身体解放など敗北を認めているようなものだ、と思われるかもしれません。私も接見禁止の現状がこれでいいのかというのが発想の出発点ですから、そのお気持ちはよくわかります。しかし、全部解除の職権不発動となるよりも一部解除でもされた方が確実に依頼者の利益には資すると思います。また、段階的身体解放を実施しようとすると、罪証隠滅の方法をきめ細かく見ることになりますので、それは長期的には刑事司法実務の運用を変えていくことにつながるのではないでしょうか。
以上の試論はいかがでしょうか。様々な批判もあるかと思います。ぜひTwitterなどでご意見を聞かせて下さい。すべてにお答えできるかはわかりませんが、あまり表に出てこない生の裁判官的発想を発信するのは大事だと思っておりますし、それがどのように写るのか興味も持っております。
【2023年1月5日追記】
本記事を投稿後、「接見禁止については、初めから、(但し、同居の親族を除く)とか、限定できないものかとはよく思います。同居の親族で特定できないのなら、一件記録の住民票や戸籍謄本でわかる範囲で特定するとか。」との問題意識を頂きました。ごもっともなご指摘だと感じました。
こちらについてはこのように返答しております。

投稿者プロフィール

西愛礼
西愛礼
2016年千葉地方裁判所判事補任官、裁判員裁判の左陪席を担当。2021年依願退官後、しんゆう法律事務所において弁護士として稼働。冤罪の研究及び救済活動に従事。イノセンスプロジェクトジャパン運営委員。日本刑法学会、法と心理学会所属。