【人質司法】裁判官も自白を強要したいわけではないけれども

刑事弁護

シンポジウム「人質司法を考える」

人質司法」という言葉があります。

罪を認めなければ長期間にわたって身体拘束されるという日本の刑事司法の実務運用は、被疑者・被告人の身体を人質にして有罪判決を獲得しようとするものだとして「人質司法」と呼ばれ、国際的にも強く批判されてきたのです。

先日、冤罪救済団体イノセンス・プロジェクト・ジャパンと国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチの共同プロジェクトである「ひとごとじゃないよ!人質司法」のローンチイベントに弊所の秋田と西が登壇いたしました。

このシンポジウムは下記動画でアーカイブを見ることができます。一般市民の方も法曹関係者の方も楽しめ、勉強になる内容になっていると思います。

とても刺激的で、何度も会場で笑いが起こる面白いシンポジウムでした。色々な方が「今まで出席したシンポジウムで一番面白かった」と口々に言っていたのが印象的でした。

私も登壇してお話ししたのですが、この話題について法曹三者でお話をする際、裁判官の考えていることや気持ちが検察官・弁護人・一般市民の方々に伝わっていないと思うことが多々あります。当然です。裁判官が身体拘束の判断をするときに何を考えているのかについて、情報が全くなく、身体拘束実務や人質司法問題に対してどのように向き合っているかについてはベールにつつまれていたからです。私自身、身体拘束をしている裁判官側のことを書くと批判を受けるだろうなとか、未熟な自分が何か言うべき立場にあるのだろうかという迷いはありました。しかし、今こうして人質司法が問題になっていて自身もそれに関与していたことや、裁判官と弁護士の両面を見ているからこそ、きちんと情報を発信しなければならないと思いましたのでブログに書かせていただきます。

裁判官から見た身体拘束実務

裁判官と検察官は身体拘束を長引かせることによって自白強要しているのではないか、という人質司法の批判がよくあります(法務省のQ&Aなど)。弁護士になった今、簡単に勾留されたり保釈を何度も否定されてこのように感じる気持ちは痛いほど良く分かります。

ただ、裁判官時代の経験をもとに話すとすれば、私は勾留許可の裁判をするときも保釈却下の裁判をするときも自白を強要しようと思ったことは一度もありませんでした

これはおそらくどの裁判官も同じだと思います。裁判官にとって自白を強要するメリットが何もないからです。

ではなぜ被疑者・被告人が身体拘束から解放されないのか。それはおそらく裁判官が”事件をつぶしたくない”という想いから身体拘束からの解放を否定しているのだと思います。

罪証隠滅(証拠隠滅)や逃亡といったことは”保釈事故”と呼ばれるものは、たまにですが実際に起きていて、裁判官はそれを身近なものとして実感しています。扱っている事件数が多いために、裁判官は弁護士以上にそれを感じているはずです。だからこそ、記録を見た時に「証拠を隠滅するのではないか」「逃亡するのではないか」という具体的な可能性が想起されます。

そして、保釈事故が発生したとき、その責任を負うことが出来る人は裁判官以外に誰もいません。検察官に対しては申し訳なく思いながら逃げた被告人の所在捜査等を依頼しないといけない一方、どれだけ身体拘束からの解放を熱望していた弁護士も24時間被告人のことを監視できるわけではなく、保釈事故の責任は裁判官が負うことになります。逃げてしまった被告人の事件や、証拠が汚染されてしまった裁判はとても大変ですし、そのような裁判は少なくとも本来あるべき裁判ではありません。事件が潰れてしまうことは、司法サービスを提供する裁判所にとってあってはならないことだからです。裁判官の意識としては、とにかく汚染のないクリーンな証拠関係で、きちんと被告人を出頭させて、公正・公平な裁判がしたい、そのような想いが非常に強いと思います。実際に、私自身もそのような思いがありましたし、裁判官は単純に日々の裁判を良いものにしたいと思っています。

なお、保釈事故が起きたからといって、保釈した裁判官が出世や昇給に悪影響が出ることは基本的にありません(変な判断を連発していたらどうなるのかは分かりませんが)。裁判の内容によって裁判官自身が不利になることは裁判官の独立への侵害でもあり、その点では守られていると思います。

弁護士になって気づいたこと

一方で、弁護士として身体拘束実務を見るようになってから気が付いたことがありました。裁判官から見てどんなに身体拘束の必要性があったとしても、どんなに適法な身体拘束であったとしても、身体拘束を受ける側からしたら「どうすればこの苦しみから解放してもらえるか」という思考に必ずなってしまいます。これは人間である以上当然の思考です。私でもそうなると思います。そして、虚偽自白、供述証拠への同意意見などが誘発されてしまい、果てには自殺のおそれすら発生します。裁判官が自白等を強要する意図がなかったとしても、結果的にそのような事態が生じてしまうのです。

その虚偽自白一歩手前で悩んでいる状況は保釈請求書などには書かれません。書いてしまうと「被告人は釈放されるために虚偽供述等をするような人物である」として罪証隠滅の可能性を基礎づけ、保釈にとって不利な事情にもなってしまうからです。そのため、被告人側の窮状は検察官・裁判官には伏せられてしまい、被告人と弁護人だけが知っていることになります。

また、裁判官が保釈事故をたくさん見ている反面、弁護士の目線からはこの被告人の窮状や、防御に支障が生じるという場面に多々直面します。弁護士は接見で実際にそれを見ていますが、裁判官は想像しかできません。そもそも、無実を主張している人が国家と戦うときにその国家によって牢屋にとじこめられているというのでは対等な戦いになるはずがありません。裁判官が想像している以上に、そのような事案は多いと思います。

人質司法の構図

これはとても怖いことです。すなわち、

①裁判官はクリーンな証拠関係のもと公平・公正な裁判をしたいと思っているから身体拘束を解かない

②しかし虚偽供述や同意の証拠意見の誘発によって、かえってクリーンな証拠関係が汚染されるとともに、裁判の準備もままならず公平・公正な裁判というものが遠のいてしまうこともままある

③裁判官は保釈事故のことについては気づくことができるが、人質司法による証拠関係の汚染に気づくことは難しい

という負の連鎖が人質司法の背景にあるのです。

裁判官はどうするべきなのか

私は裁判所が自白強要をしているとまでは思っていませんが、弁護士の経験も踏まえてみると、やはり裁判所において令状実務を改善して人質司法問題を解消すべきだと考えています。裁判官は、どうしても「罪証隠滅」「逃亡」といった法律上の要件判断や保釈事故の現実的危険性に目が行ってしまいます。しかし、実は勾留することによって、その勾留が仮に裁判官にとって適法であったとしても、虚偽自白や証拠意見の同意の誘発によって、クリーンな証拠関係が汚染されてしまったり、武器対等が全く実現しなくなってしまっている事案がたくさんあるわけです。これではクリーンな証拠関係を維持したい裁判官にとって全く本末転倒です。勾留によってかえって事件が潰れてしまっているわけです。

罪証隠滅の可能性は自白している事件の方が否認・黙秘している事件よりも小さい、という実務慣行についても、正直、純粋な理屈の問題であれば私もそう思ってしまいます。でも本当にそれでいいのでしょうか。その帰結として、無実を訴える人ほど身体拘束が長くなります。それでは虚偽自白等が生まれて当然です。それは身体拘束を受ける側からすれば、最も防御が必要な人たちからすれば、理不尽以外の何物でもありません。これは本当に妥当な法律解釈なのでしょうか。もっと視野を広げた判断が必要だと思います。罪証隠滅・逃亡とは反対側にある勾留した場合の不利益についても目を向けなければなりません。

裁判官は、クリーンな証拠関係のもとで公平・公正な裁判をしたいのであれば、むしろ早期の身体拘束からの解放を考えなければならないと思っています。

人質司法の解消に向けて

人質司法は構造的な問題によって生じていることや、法律要件の解釈は一定程度確立されてしまっていることから、私は裁判官の意識を変えるだけでなく、ルールの改正も必要だと思っています。特に、国連から勧告されているように、取調べや身体拘束の時間制限が必要です。

今回のシンポジウムを開催したひとごとじゃないよ!人質司法」というプロジェクトでは、シンポジウムなどのイベントだけではなく、海外向けの発信や国会へのロビイングも予定しています。ぜひ、このようなムーブメントについて、弁護士や学者だけではなく、一般市民の方々のほか、日々の令状実務に携わる裁判官や検察官・警察官にも興味をもっていただければと思います。

特設サイトは下記のバナーから飛ぶことができますので、ぜひご覧ください。製作者さんと何度も打ち合わせて頑張って作りました。

”ひとごとじゃないよ!人質司法”は、ハッシュタグがあります。#ひとごとじゃないよ人質司法 #EndofHostageJusticeです。ぜひ、人質司法で苦しんだことのある元被疑者・被告人の方や弁護人の方、人質司法が問題だと思っている市民の方々はこのハッシュタグに投稿をしてください。身体拘束実務に携わる裁判官・検察官・警察官からの投稿も大歓迎です。人質司法に関する情報をもっと発信し、誰の目にも見える形にしていく必要があると思っています。

 

投稿者プロフィール

西愛礼
西愛礼
2016年千葉地方裁判所判事補任官、裁判員裁判の左陪席を担当。2021年依願退官後、しんゆう法律事務所において弁護士として稼働。冤罪の研究及び救済活動に従事。イノセンスプロジェクトジャパン運営委員。日本刑法学会、法と心理学会所属。