なぜ、大阪地検特捜部は再び誤ったのか?-プレサンス事件 供述への過度の依存と客観証拠の軽視

刑事弁護

”被疑者・被告人等の主張に耳を傾け,積極・消極を問わず十分な証拠の収集・把握に努め,冷静かつ多角的にその評価を行う”

これは、2011年9月に最高検察庁が策定し公表した「検察の理念」の一節である。今回の山岸さんに対する大阪地検特捜部の捜査は、この理念と真逆であった。一貫して否認する山岸さんの主張に「耳を貸さず」、山岸さんの主張を裏付ける「客観証拠」の意味内容を十分に把握する努力もしないまま、上場企業トップであった山岸さんの立件・起訴に突き進んだのがその捜査の実体である。客観証拠の把握や、冷静・多角的な評価の代わりに特捜部が邁進したのは、山岸さんに18億円の貸付を依頼した部下Kと不動産会社Y社長に、山岸さんの「共謀」を認める供述をさせることであった。実は、KもY社長も、逮捕された直後は、山岸さんとの共謀を明確に否定していた。ところが、特捜部検事は、可視化されていたとは言え、弁護人の立会いがない密室の中で、両者にさまざまな圧力を加え、それぞれ山岸さんの関与を認める供述を引き出し、その旨の供述調書を作成したのである。Y社長は、その供述調書を作成された翌日、接見した弁護人から「真実を語るように」とアドバイスされ、山岸さんの関与を認める供述を撤回していた(ちなみに、検察官はその撤回供述を調書にはせず、スルーした)。

Y社長は、山岸さんの公判でも、山岸さんの関与を否定する証言をした。これに対し、検察官は、Y社長の供述撤回前の供述調書を証拠請求したが(いわゆる刑事訴訟法321条1項2号後段書面)、裁判所は却下した(大阪地裁第14刑事部令和3年7月8日決定)。これによって、山岸さんの関与が認められるかどうかは、事実上、公判でも山岸さんの関与を認めるかのような証言を続けた部下Kの供述の信用性に依存することとなったのである。

K供述は、山岸さんに18億円の貸付を依頼するに当たり、「KもY社長も、大橋美枝子個人に貸し付けると説明しており、学校法人へ貸し付けるとは説明していない」というものであった。これに対し山岸さんは、一貫して「Kからは、18億円の貸付は、学校の再建資金と聞かされており、18億円は全額が明浄学院へを貸し付けられると認識していた」と説明していた。

どちらの供述が真実なのか。実は、決定的な証拠があった。Kは山岸さんへの説明用のスキーム図を作成していた。そのスキーム図には、「学校法人へ支払い(貸付金)」と繰り返し記載され、18億円がY社長の会社を通じて、全額が明浄学院へ貸し付けられることが明記されていたのである。これは、山岸さんの一貫した説明と完全に一致するものであった。もちろん、K供述とはおよそ整合しない。その点を、反対尋問で弁護人に質されたKは、このスキーム図を「大橋個人への貸付であると説明したものだ」と言い張ったのである。しかし、スキーム図には、「学校法人へ支払い(貸付金)」とは、あっても「大橋個人への貸付」はおろか「大橋」という名前すら記載がなかった。無罪判決も、K証言が、スキーム図と整合しないことを重視し、「Kが故意に虚偽供述をしている可能性が高いといえる」としたのである。

このスキーム図だけではない。18億円の貸付については、その協議過程で関係者の間で多数の説明図や協定書案・契約書案なども作成されていたほか、多くのメールがやりとりされていた。公判では、それらの書面等の証拠物が219点メールが371点、それぞれ証拠請求され、取調べられたのである。それらの客観的証拠はいずれも、山岸さんが18億円を貸し付けるまでは「学校法人への貸付」を前提に進められていたことを示していた。

冒頭に触れた「検察の理念」は、2010年9月に発覚した厚労省元局長事件の大阪地検特捜部主任検事であった前田恒彦元検事による証拠改ざん事件を端緒として行われた検察改革の中で定められたものである。さらに、この検察スキャンダルを受けて法制審議会に設けられた「新時代の刑事司法制度特別部会」が2013年1月に公表した「時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想」では、「取調べ及び供述調書に余りにも多くを依存してきた結果,取調官が無理な取調べをし,それにより得られた虚偽の自白調書が誤判の原因となったと指摘される事態が見られる」などと指摘された。そして、特別部会では「取調べへの過度の依存を改め,証拠収集手段を適正化・多様化するための方策」が第1の論点とされ、その後の法制審議会や国会での議論を経て、2016年5月の刑事訴訟法改正で、「検察官独自捜査事件における取調べ全過程の録音・録画制度」(取調べの可視化)が法定された(刑訴法301条の2第1項第3号。可視化施行は2019年)。

今回の大阪地検特捜部の捜査は、共犯者への取調べに過度に依存し、客観的証拠を軽視した結果、深刻な冤罪を生んだと言える。大阪地検特捜部のスキャンダルが、検察改革や刑事司法制度改革のきっかけとなり、検察の理念、基本構想、取調べ可視化の法制化とつながった経緯からすれば、あまりに皮肉な結果である。言うまでもなく、検察官は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」では許されない。今一度、「検察の理念」に立ち返って、反省することが必要であろう。

なお、本件の取調べの問題点については、改めて述べることとしたい。

投稿者プロフィール

秋田真志
秋田真志
1989年大阪弁護士会登録。刑事弁護に憧れて弁護士に。WINNY事件、大阪高検公安部長事件、大阪地検特捜部犯人隠避事件、FC2事件、SBS/AHT事件、プレサンス元社長冤罪事件などにかかわる。大阪弁護士会刑事弁護委員会委員長、日弁連刑事弁護センター事務局長、委員長などを歴任。現在、SBS検証プロジェクト共同代表。